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コラム

カポエイラの歴史その5
ヘジョナウとアンゴーラ

2019/7/11


20世紀前半ビンバやパスチーニャの働きは
カポエイラを健全なスポーツ、格闘技として世間に再認知させました。

カポエイラへジョナウの出現

1900年代初頭から1920年ごろまでには、徐々にカポエイラのを禁止する動きも弱まってきていました。

そんな中サルバドールにてメストレビンバは現在の「ヘジョナウ」の前身とも言える、「ルタヘジョナウバイアーナ」を作りました。
ビンバは体系的な練習方法を定め、1932年に初となるカポエイラの道場を作りました。

しかし未だ法律でカポエイラは禁止されていたため、ビンバはカポエイラの格闘技的要素を強くしたこの流派をはじめ、「カポエイラ」と呼ぶことができませんでした。

ビンバの学校は1937年にはサルバドール市の教育長官の許可を得て、当時の上流階級の者にまでカポエイラを教えました。
そうして1940年代にはカポエイラへの犯罪的な見解は薄れていき、合法化されました。

アンゴーラスタイルの確立と、カポエイラの多様化


ビンバがヘジョナウのスタイルを築きあげる一方で、元来のカポエイラの伝統的なスタイルのメストレ達も、自分達のカポエイラを残そうとしていました。

1941年にメストレパスチーニャによって伝統的なカポエイラスタイルの学校が設立されました。

パスチーニャの道場で教えるスタイルをはじめ、伝統的なカポエイラのスタイルをこの頃から「アンゴーラ」と呼ぶようになりました。

また一方で、リオデジャネイロやサンパウロ、その他の都市などでのカポエイラがヘジョナウとアンゴーラの2つに分けられるのではなく、「カポエイラ」として続けられていました。

こうしてカポエイラは多様なスタイルを生み出し、影響しあって現在に繋がっています。

カポエイラへの軍事政権時代の抑圧


第二次対戦時期のブラジルでの軍事クーデター、その後の1985年まで続く軍事政権時代に渡り、

カポエイラは危険な娯楽とみなされていました。

こうした背景から、徐々に格闘技的な要素よりもダンス的な部分が強くなっていきました。

この時代にもカポエイラによって罰せられる人々もおり、主に大学生たちによる文化活動としてのみ認められていました。

現在のカポエイラ


ブラジルが民主政治社会に戻ると、その他の文化と同様にカポエイラも弾圧から離れ、自由にブラジル国内でも行われるようになりました。

現在は世界全体でもカポエイラが盛んに行われ、ユネスコの無形文化遺産にも登録される、ブラジルを代表するスポーツとなりました。