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コラム

カポエイラの歴史その4
黄金法での解放とカポエイラの禁止

2019/6/28


19世紀終わりの黄金法によってエスクラーヴォ達は自由を得ます。
しかし彼らは社会から見捨てられ、マウタを結成します。

黄金法の制定と支配からの解放

キロンボに対する軍事費の負担や廃止主義の運動から、ついに奴隷制廃止へと社会が動いていました。

当時のブラジルの皇帝イザベル姫も、制度の廃止推進者として動いていました。

1888年、プリンセスイザベルの調印した黄金法により、とうとうエスクラーヴォ達は支配から解放され自由を得ました。

またこの黄金法の制定は、農園を始めブラジル全体に強烈な人手不足をもたらし、

移民政策への転換が推し進められ、1900年代前半の大勢の日本人も含む移民の増加へと繋がっていきます。

自由を得た者達の苦痛


解放され自由を得た者達は、幸せになった訳ではありませんでした。

彼らの大部分は家を失いどこにも住むことはできず、仕事もなく、 ブラジル社会から差別されていました。

ブラジル社会は彼らを、怠惰で能力のない者とみなしていました。

教育も全く受けたこともなく、読み書きもできない彼らは社会生活を営むのも難しかったのです。


マウタの台頭とカポエイラの禁止


仕事のない彼らの中にボディーガードや暗殺者としての仕事をする者も現れ、彼らはカポエイラをその仕事に利用しました。

リオデジャネイロにはマウタというギャング団が台頭します。

特に巨大なマウタ、「ナゴアス」と「グアヤムン」は多くのカポエリスタを含み、マウタ同士の敵対なども問題でした。

当時君主制が終わり、共和国となったばかりのブラジルの政治は混迷しており、

共和党と自由党の暗殺者としても使われていました。

そういった中政府はカポエイラをブラジル全土で禁止しました。

当時の首都リオデジャネイロは社会情勢が混沌としており、

警察の記録には、カポエイラは格闘の手段とされていたのです。

ブラジル全土にはカポエイラを健全に練習する市民もいました。

しかし彼らは逮捕され、拷問を受け、多くの場合は警察に殺害されることになります。


その5に続く。。。。


マウタ ナゴアスとグアヤムン
マウタ ナゴアスとグアヤムンの風刺画