ブラジルでの近代のカポエイラのスポーツ化の歴史

どうもりゅうです。
ポルトガル語のカポエイラに関する論文をいくつか読んでいて、あまり日本では知られていないブラジルの20世紀のカポエイラ史について、興味深い情報をいくつも得たので、解説したいと思います。

マウタの暴力からスポーツへ

カポエイラの歴史については、こちらをご覧ください。

カポエイラの歴史

カポエイラが禁止されていた時代

1800年代後半のリオデジャネイロでは、マウタと呼ばれるカポエイラを暴力に使用して犯罪行為をも行う集団が拡大しました。政治もこれを利用し、ギャングのような存在として社会に幅を効かせたのです。
1888年にブラジルの奴隷制度が廃止され、奴隷だった人達は自由を得たのに反して、政府は社会の安定を目指しこのマウタをより厳しく取り締まるため、カポエイラを違法と位置づけ1000人以上にも及ぶ人々をカポエイラをした罪で逮捕します。

しかしそれは、なんでもかんでもカポエイラを摘発していたのではなく、カポエイラを使って犯罪を犯すものたちを取り締まっていたのでした。当時リオではカポエイラと言いつつカミソリやナイフ、きや鉄の棒など武器をしようし相手と戦闘することもあり、きちんとした職を持たない人の集団の犯罪行為とイコールとして認識されていました。
バイーアをはじめとする別の地域には、文化的な遊び、スポーツ活動としてカポエイラをする人も多くいて、そういった人々はむやみに取り締まられていたわけではありません。

リオ政府はサンパイオ・フェーハズという人物を警察署長に任命します。彼はカポエリスタでしたが、街からのカポエイラを排除する活動を指揮しました。マウタのトップには政府の高官、提督、著名な人物の家族なども多くいて、彼らも逮捕されました。
1890年にカポエイラを行うことは軽罪として共和国の刑法に含まれ、それは50年間続いたのです。

そうした時代の中ですが、ブラジルではヨーロッパの文化に反抗して、ブラジル固有の文化を促進しようというナショナリズムが強くなります。
また社会や経済の安定を目指すため、道徳的、肉体的、知的な側面から教育に力を入れるべきであるという政府の方策が取られます。中でも体育には道徳的価値観と体力の発達を求めていました。
そこでカポエイラは、教育と体育の両方に作用し、道徳的、および身体的発達のため、スポーツとして促進するプロジェクトが取り組まれます。
カポエイラを犯罪行為から脱却させ、国家の推し進めるスポーツへと進化されるという試みは、リオでの犯罪的なカポエイラの活動を衰退させ、文化的な活動、そしてスポーツとして楽しまれるジャンルのカポエイラが発展していきます。そういった過程の中には、メストレビンバのヘジォナウというスタイルの道場がバイーア政府に認められるという歴史も含まれます。同時期には国際オリンピック委員会からのスポーツ法制定の要求に際して1941年に制定されたスポーツ条例の中で、カポエイラはボクシング連盟の一部に組み込まれます。これはブラジルの歴史の中で初めて公式にカポエイラがスポーツとして認められたものです。

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