カポエイラジェライス東京

コラム

カポエイラの歴史その3
ブラジルの独立とカポエイラの抑圧

2019/6/20


19世紀ブラジルの独立によってカポエイラは普及し、そして弾圧されます。
ここでは19世紀のカポエイラを取り巻く様子について説明します。

ブラジルの独立への動きとカポエイラの普及

1800年代に、ブラジルはポルトガルの植民地から独自の国家として独立へ動き出します。

貿易の発展や工業化進み、港のある街の都市化も進みました。

都市部の人口が増え、エスクラーヴォ達の人数も増えました。

エスクラーヴォ達の交流が増えた事でカポエイラも普及し、

社会への認知度も高まっていきました。

この時代にはサルバドール、レシフェ、リオデジャネイロなど、ブラジルの各地でカポエイラは行われていました。



カポエイラへの抑圧


この時代になってもカポエイラは植民地支配者達への反抗の手段として使われていました。

植民地政府はそれを抑圧しようと働きます。

19世紀の警察の記録には多くの人々がカポエイラをしたという罪で拘束されたと残っています。

また見せしめとして公然で処刑されたりもしました。

当時の逮捕者のうち10〜30%程がカポエイラを理由に逮捕された人々でした。

その4に続く。。。。

「カポエイラの歴史その1
植民地時代のブラジルとカポエイラの起源」


「カポエイラの歴史その2
カポエイラの弾圧とキロンボ、ズンビの存在」


「カポエイラの歴史その4
黄金法での解放とカポエイラの禁止」


「カポエイラの歴史その5
ヘジョナウとアンゴーラ」


「ブラジルでの近代のカポエイラのスポーツ化の歴史」

「カポエイラの特徴と多様性」

「カポエイラが禁止されていた時代」