カポエイラジェライス東京

コラム

カポエイラの歴史その2
キロンボ、ズンビとカポエイラの存在

2019/6/17


カポエイラの歴史の始まりは16世紀のブラジルに遡ります。
ここではキロンボやその王ズンビについて説明します。

希望の集落「キロンボ」の形成

過酷な環境での労働、生活を余儀なくされていたエスクラーヴォ達の中には、
雇い主の農園からの逃亡を計る人たちも少なくありませんでした。

逃亡中捕まると厳しい罰や極刑も受け、また逃亡には遭難や飢えなどの危険も伴いました。

警察などの追手に抗う手段として、カポエイラで培った格闘技術が役に立ったと言われています。

逃亡したエスクラーヴォ達はポルトガル人の町から遠く離れ見つからない森の奥で集落を形成します。

「キロンボ」と呼ばれるその集落は、彼らが自給自足を行い生活する、弾圧や支配から解放された自由を得た、希望の場所でした。

逃亡するエスクラーヴォ達はキロンボへとたどり着くことをめざしていました。



キロンボでのカポエイラの発展とズンビ


キロンボへと逃げた人たちの中でもカポエイラは行われていました。

それまで個人を守る手段であっただけのものが、追手と闘い村を守る為の力としても使われました。

キロンボもあちこちにいくつか存在しており、その中でも最も大きく有名なものに「パルマーレス」というキロンボがありました。

パルマーレスは「国家」を名乗り、その王としてズンビという人物が君臨していました。

ズンビは強くエスクラーヴォ達の象徴であり、後世のブラジルにとっても歴史上の偉人として人気の人物です。

ポルトガル人の植民地軍の攻撃を何十回にもわたり退け、100年以上抵抗を続け彼らは自由を守り続けました。

軍の記録に、キロンボの戦士達はジンガ(カポエイラ)を含む戦闘術があり、攻略にはドラゴンが何匹も必要だ、と残っているほどです。

ペルナンブコの総督は、オランダの侵略を防ぐよりもキロンボを倒すのは難しいという言葉も残しています。

その3に続く。。。。

「カポエイラの歴史その1
植民地時代のブラジルとカポエイラの起源」


「カポエイラの歴史その3
ブラジルの独立とカポエイラの抑圧」


「カポエイラの歴史その4
黄金法での解放とカポエイラの禁止」


「カポエイラの歴史その5
ヘジョナウとアンゴーラ」


「ブラジルでの近代のカポエイラのスポーツ化の歴史」

「カポエイラの特徴と多様性」

「カポエイラが禁止されていた時代」


パルマーレスの王ズンビ ズンビ


ズンビの銅像 ズンビの銅像