カポエイラジェライス東京

コラム

カポエイラの歴史その1
植民地時代のブラジルとカポエイラの起源

2019/6/13

カポエイラの歴史
カポエイラの歴史の始まりは17~18世紀のブラジルに遡ります。
ここでは奴隷制時代のブラジルの歴史とカポエイラの起源について解説します。

16~17世紀のブラジルと奴隷貿易

この時代、ブラジルはポルトガルにより植民地として占領され、入植、開拓が進んでいました。

広大な大地に街を作り、農作物を育て、放牧を行うには大量の人手が必要でした。

植民地の人手を補うため、当時アフリカなどから大勢の人々が奴隷として北中南米へと強制的に連れてこられ、自由を奪われ働かされていました。

彼らは広いアフリカの様々な地域、民族から連行され、差別的、非人道的な扱いを受け、 過酷な環境で最低限の食事や生活を強いられていました。

カポエイラの発生とその背景


ブラジルに連行された奴隷は「エスクラーヴォ」と呼ばれ、特に現在のアンゴラから来た人たちが多く、彼らによってカポエイラは作られました。

アフリカの様々な民族の踊りや音楽、文化が融合する中で、余暇時間の遊び、そして権力者や暴力支配に対抗するための鍛錬などとして生まれました。

ポルトガル人達にとって、エスクラーヴォ達が格闘のようななにかをしているのは脅威であり、警察の取締りの対象でありました。

カポエイラの語源は諸説ありますが、エスクラーヴォ達は低い丈の草むらで行うが多く、「木々の刈られた土地」を意味する原住民の言葉から「カポエイラ」と呼ばれるようになったという有力な説があります。

「鎖で繋がれ手が使えないから足で戦う」というのは間違い!!

日本でカポエラというとよく、「鎖で繋がれ手が使えないから足で戦っていた」と言われますがそれは間違いです。

エスクラーヴォ達は連行されてきた当初は反抗や逃走の恐れがあるため、拘束されることは多々ありました。

しかし労働者として農業、土木作業、雇い主の家事や子供の世話、自分自身の身の回りのことなど、様々な仕事をするには
繋がれたままではできません。また何年も、何世代にも渡って住み生活する上で、主従関係はありながらも常に拘束されるような立場ではなかったのです。

彼らにも仕事の合間の余暇時間があり、そういった中でカポエイラをやろうというエネルギーがあったのでしょう。

その2に続く。。。。

「カポエイラの歴史その2
カポエイラの弾圧とキロンボ、ズンビの存在」


「カポエイラの歴史その3
ブラジルの独立とカポエイラの抑圧」


「カポエイラの歴史その4
黄金法での解放とカポエイラの禁止」


「カポエイラの歴史その5
ヘジョナウとアンゴーラ」


「ブラジルでの近代のカポエイラのスポーツ化の歴史」

「カポエイラの特徴と多様性」

「カポエイラが禁止されていた時代」