カポエイラを極めた人の目線

どうもりゅうです。
今回はブラジルのカポエイラについての論文で興味深いものを紹介したいと思います。

紹介するのは「Capoeira: a prática dessa cultura mantém o prazer mesmo com importante demanda energética」です。

この論文は、ペドロ・エンリケ・マルティンス・ヴァレリオ氏とクリスチアーノ・ホーキ・アントゥネス・バレイラ氏という2人の研究者が、2016年にブラジルの『Revista Brasileira de Psicologia do Esporte(ブラジルスポーツ心理学誌)』に発表したものです。テーマは、ブラジル生まれの武術・舞踊・音楽が混じり合った身体文化「カポエイラ」を、実際に長年やってきた「メストレ(師匠、達人)」たちがどのように内側から体験しているか、というものです。

普通、カポエイラというと「格闘技であり踊りでもある、独特な文化」というふうに外から説明されがちです。しかしこの研究では、そうした外からの説明(先入観)をいったん脇に置いて、実際にカポエイラを生きてきた人の「内側の感覚」そのものに迫ろうとしています。これは「現象学」という哲学の考え方を応用した方法で、ドイツの哲学者フッサールの思想がベースになっています。簡単に言うと、「物事について頭で知っている知識」ではなく、「その人が実際に体験している“感じ”そのもの」を大切にする研究のやり方です。

研究方法

研究チームは、少なくとも28年以上カポエイラを続けてきたメストレ9人と、メストランド1人、合計10人にじっくりインタビューをしました。そのうち4人は「カポエイラ・ヘジオナウ」、6人は「カポエイラ・アンゴーラ」の出身です。インタビューは雑談のように自由に語ってもらう形式(深層面接)で、その発言記録を丁寧に分析していきます。プライバシーを守るため、それぞれの語り手はS1からS10という記号で呼ばれています。
ここで私が驚いたのは、匿名でメストレからインタビューを集める論文というのは珍しいからです。

分析にあたっては、カポエイラのいろいろな側面――遊び、踊り、闘い、文化、ゲームなど――を比べながら、「形は変わっても、これがなければカポエイラでなくなる」という核になる要素を探しまています。インタビューの結果見えてきたのが、「闘い(luta)」という要素です。

ここが重要な部分です。論文は、カポエイラをプレイすることが、しばしば「実演(デモンストレーション)」という形をとることに注目します。

論文にはこうあります。「カポエイラをプレイすることは、“あたかも本当の戦い”という形式での挑戦を含意しうる。その狙いは、動きの技量において相手を上回っていることを示すことにある。たとえ遊戯的な形で行われている場合であっても、そこでは“一撃が勝負を決定づけるだろう”ということが示されている」

つまり、たとえニコニコと楽しそうに動いていても、「もしこれが本気だったら、今の一撃で決着がついていたよね」という緊張感が、プレイの中にちゃんと織り込まれている、ということです。遊びの動きの一つひとつが、実は「本気の一撃」の可能性を背後に隠し持ったまま行われている、というわけです。

どんなに楽しく遊ぶような雰囲気であっても、「一撃を打ち合う」という緊張感がカポエイラには常に隠れており、これを取り除いてしまうと、もはやカポエイラとは呼べなくなる、というのがこの論文の重要な出発点です。

「危険」が「リスク」に変わっていく過程

面白いのは、カポエイラを始めたばかりの人と、長年続けている達人とでは、「相手に打たれること」への感じ方が変わっていく、という発見です。初心者のうちは、殴られるかもしれないという「危険(perigo)」に対して、本能的・反射的に反応するだけです。ある師匠(S4)は、もともと寂しさや不満から「喧嘩に強くなりたい」という気持ちでカポエイラを始めたけれど、続けているうちにその攻撃的な気持ちが自然と和らいでいった、と語っています。

経験を積むにつれて、「危険」は「リスク(risco)」、つまり「確率として起こりうること」として捉え直されるようになります。これは一方通行の変化ではなく、遊びとしての側面も、本気の闘いとしての側面も、常にどちらも消えずに残り続けるとされています。

用心深さと「マランドラージェン(ずる賢さ)」

カポエイラの輪(ホーダ)の中では、相手が本気で攻めてくる気配があるかどうかを、目つきやちょっとした頷きといった「サイン」で仲間同士が読み取り合います。これは、危険を一人で判断するのではなく、その場にいる全員で共有し合う「共犯関係(cumplicidade=複雑さ、複数の人が絡み合っていること)」だと説明されています。理想的には、闘いも「お互いの合意(comum acordo)」の上で行われ、力加減がきちんとコントロールされたものになります。ある師匠(S9)は、街の広場で本気の勝負をした経験を振り返りながらも、結局はいつも仲間との宴会や歌で締めくくられていた、と懐かしそうに語っています。

「マリシア」――遊びの中に潜む駆け引き

さらに面白いのが「マリシア(malícia)」という概念です。これは単なる「ずるさ」ではなく、笑顔を見せて相手を油断させたり、わざと違う動きを見せかけて相手を誘い込んだりする、体全体を使った駆け引きの技術です。ある師匠(S5)は、自分の体の動きや視線で相手を「催眠術にかけるように」誘導し、わざと相手が勝手にバランスを崩して転ぶよう仕向けた、というエピソードを語っています。論文では、このマリシアを「相手の意図に入り込みながらも、内側には対立(敵意)を隠し持っている、独特な“共犯関係”」だと位置づけています。

怒りをコントロールし、仕返しを「待つ」こと

カポエイラでは、恥ずかしい技(たとえば足払いの「ハステイラ」)をかけられても、その場ですぐに仕返しをするのではなく、「ちょうどいいタイミングを待つ」という態度が重んじられます。「殴った方は忘れるが、殴られた方は忘れない」ということわざが引用されており、感情をすぐに爆発させず、内心の怒りを笑顔の下に隠しながらコントロールする力が、長年の修行を通して培われていくとされています。この感情の制御力は、カポエイラの外の日常生活にも活きてくる、と語られています。

「ヴァジアサォン」――勝ち負けを超えた遊びの境地

熟練者になると、「ヴァジアサォン(vadiação)」と呼ばれる、より洗練された遊び方が現れます。これは勝敗にこだわらず、純粋に「楽しむこと」を目的にしたプレイスタイルです。ある師匠(S2)は、相手の目を見つめながら動き、お互いの動きがぴったり噛み合ったときに「二人が一つになる」ような感覚を味わう、と表現しています。予測できない攻撃をひらりとかわす瞬間の創造性や美しさが、「魔法のような瞬間」として語られます。

ただし論文は、この「二人が一つになる」という感覚を、文字通りの“融合”とは考えていません。これは、お互いの「これから来るだろう動き」を似たような感覚で予測し合っている状態であり、あくまで別々の二人であることに変わりはない、と哲学的に整理されています。実際、「思ったより早く相手が逃げた」というような“予想外の出来事”が起きた瞬間、二人が別の存在であるという境界がはっきり現れる、というのです。

また、音楽がその場の「雰囲気」を作り出し、悲しい歌詞なのに笑顔で歌うことができたり、選手たちの感情や動きに直接影響を与えたりすることも詳しく描かれています。極限まで音楽と一体化すると、頭で計算するのではなく体が勝手に反応して危険を避けている、という状態にまで至るそうです。

ホーダを仕切るメストレは、儀式的な準備(体を清める、祈るなど)をして「場の空気」全体に責任を持つ「番人」のような存在として描かれています。

「自分らしさ」を育てるカポエイラ

最後に論文が強調しているのは、カポエイラを続けることは、単に伝統的な技を真似ることではなく、自分自身の中から湧き出てくる独自の表現を育てることでもある、という点です。ある師匠(S1)は「人のまねをするな、自分の中にあるものをやれ」と語っています。同時に、コミュニティに認められ、「どこに行っても迎え入れられる」ことも大切にされており、伝統の枠の中で自分らしさを発揮するというバランスが重視されています。

考察とまとめ

考察部分では、他の武術(空手)を対象にした先行研究とも比較しながら、「攻撃性から入った人が、次第に自己防衛以外の哲学的・精神的な目的へと動機を変えていく」という現象が、カポエイラにも共通して見られることが指摘されています。また、カポエイラ・アンゴーラの騙し合いの技術は、歴史的に見れば奴隷制時代からの権力への抵抗の知恵とも結びついている、という文化的な背景にも触れられています。

結論として著者たちは、カポエイラを生きるということは、「危険をどう扱うかについての、相手との繊細な合意(アコルド)」を常に結び直し続けることだと述べています。それは単なる勝ち負けのゲームではなく、自分らしく、創造的に、この世界に身を置くひとつの「生き方のスタイル」なのだ、というのがこの論文の締めくくりのメッセージです。

カポエイラに関するそれぞれのメストレの価値観や見え方が、深い経験とともに語られている点が、この論文のとても興味深いところだと私は感じました。なかなか形式的な歴史や文化や精神的な面に収束しがちな論文が多いですが、あくまで主観的なメストレの見え方を集めたおかげで、よりリアルな古きメストレ達のカポエイラ観というのに触れられた気がします。

タイトルとURLをコピーしました