カポエイラの歴史を代表するメストレの1人として、メストレ ワウデマーがいます。
大きなテント小屋でカポエイラを教えたりホーダを開催し、その場所は「Barracao de Waldemar」(ワルデマーのテント)と有名になりました。
歌と演奏方法、ビリンバウ等の楽器の制作について偉大な功績を残しました。
バイーアを代表するメストレとして、カポエイラ界の発展に大きく貢献した彼について解説します。
Mestre Waldemar
メストレ ワウデマーは本名を Waldemar Rodrigues da Paixãoといいます。
1916年にサルヴァドールのイーリャジマレーで生まれ、1990年に他界しました。
メストレ ワウデマーがカポエイラの世界で活躍を始めたのは1940年代のことです。
シリ ジ マンギ、カナリオ・パルド、タナビ・ジ・ピリピリ達からカポエイラを4年間学んだ後彼は40年間カポエイラを教えていきます。
現在のリベルダージ地区に当たるコルタブラッソにあるテント小屋で、毎週日曜ホーダをしていました。またシダージバイシャの市場前広場で教えたりもしていました。
1950年代になると、メストレ ワルデマー のカポエイラは学者、芸術家、ジャーナリストから注目を浴びます。彫刻家のマリオクラボや、有名な画家のカリベも頻繁に彼のバハカオン(テント小屋)を訪れました。
Albano Marinho de Oliveira(1956)によると、Liberdadeでのカポエイラが、ジョーゴの前に長いソロの独唱を歌い始めたとしています。それはのちにラダイーニャと呼ばれるようになりました。
メストレ ワウデマーはビリンバウを多くの制作し販売して、それが彼の収入源となっていました。
彼は名声を得ようとはせず、目立とうとはせず地道にカポエイラを人々に広め伝えていきました。
彼の歌やビリンバウの演奏は人々を魅了し感動させましたが、それをお金儲けに繋げようとはしませんでした。
晩年にはパーキンソン病を患い、激しく動いたりビリンバウを引くことが難しくなりましたが、メストレカンジキーニャとCDを制作して歌を録音するなど、活動を続けました。