カポエイラの歌には、水や泉に関する歌がいくつも存在します。
カポエイラの理念などを説明する際にも、ポルトガル語では水を意味する「Agua」や「Fonte da água(泉の水)」などがよく使われます。
このように水に対する表現を、私はカポエイラを始めたての頃には「必要な水、飲み水」として認識していました。しかし、ブラジルから来日したメストレ マオンブランカに教わった歌の意味から、本当の意味するところを知ることができました。
「水」とはメストレ・先人の教え
私がメストレに教わったことをかいつまんでまとめると、
『「水」とは平等に大切なものであり、自然の中では自然から与えられるとても重要なものである。カポエイラの長く使われてきた表現として、メストレやカポエイラを伝えてきた先人たちの教えや知識を、「水」として比喩した表現する。同様に、水が湧き出る「泉」を、知識を蓄えたメストレそのものを比喩する表現として使う』ということです。
例えば、「Santo antonio eu quero água」という歌詞は、直訳すると「聖サントアントーニオ様、水をください」という意味ですが、この水というのはメストレの教えという意味だと捉えることが可能です。つまり、「私はメストレを尊敬しています。メストレの教えを大切にします」と言った様な文脈で歌われることがある、という歌だと解釈できます。
私はこのことを知るまで、水に関わる歌詞を普通に水のことだと考えていました。
こうした比喩の表現を踏まえてみると、随分と歌詞の意味への理解が変わってきます。
ただし注意すべき点として、カポエイラの歌の中で水に関する歌詞の何もかも全てがメストレなどを意味しているわけではなく、中には本来の水を意味する場合もあるということ。そして更には、本来の水と、メストレや先人の両方を含ませて解釈できるような歌もあるということです。
こうした意味に関しては、そもそも歌の意味は聞き手、歌い手ごとに解釈が異なって当然のことであり、カポエイラの歌に関しても人によって解釈が異なっているのが当たり前です。
今回紹介しているのは、ブラジル人のカポエリスタの多くの人が解釈し意図して歌っているが、日本人からはそれを知らないとイメージが湧きにくい「水」の意味を紹介しています。ブラジル人のカポエリスタの中でも別の解釈をしている人もいて、それぞれが歌として多様な表現を生み出していると考えます。