ブラジル社会でのカポエイラの道着の意味

どうもりゅうです。
今回はカポエイラの道着がブラジルの生活で特別な意味があるということについて、解説したいと思います。
ブラジルで大人や子供はカポエイラの道着を来て道を歩いている場合、その人が信用される、安心できる人であると認められることが多いのです。

これは私がブラジルに一年間住んでいた時に人に聞いたり、身を持って感じたことでもありました。

まずブラジルでは経済状況により、生活水準の格差が広がっています。
とくに先進ん刻よりも貧しい人立の割合はとても多く、一般的にスラム街といわれる地区以外でも、仕事のない人、学校に通わない人が普通に大勢いるのが現状です。

またブラジルの教育システムは、義務教育制度があるのですが、午前と午後の2部制で時間のある子供が奥、また社会的にも教育への注力が先進国にくらべ少ないため、まじめに学校に行かない子供も少なからずいます。

また特段貧しくなくても、持ち前のいい加減でおおらかで、あまり熱心に働かない国民性のため、日中でも仕事をせず家の前でうろうろする大人や学校にいかず遊ぶ子供が、都心部だけでなく住宅街にも大勢います。

こうした人の中に、犯罪者や素行の悪い人たちも同時に紛れ込んでいるという状況がどこにでも見られます。

そこにいる人たちは、なんの組織にも属さない誰かわからない人なのです。

そういった人にとって、カポエイラの団体に属しているというのは、会社や学校に属しているのと同じくらい、周辺の住民にとっては「所属」のわかる安心できる人として見られることがあります。

これはブラジリアン柔術や他の教室、スポーツチームなどでも同様です。

このため、都心部ではない住宅街のような場所はもちろん、スラム街に近い場所でも、カポエイラの道着を着て歩いている人は「どこの誰かはっきりしている」という安心を周囲から得られます。

犯罪者の多く、それでいて犯罪者ではないがまともな組織に属していない人も多くいるブラジルでは、
カポエイラのような習い事の教室でも「きちんとした組織」であり、人と社会をつなぐコミュニティでもあるのです。

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