カポエイラ要塞

どうもりゅうです。カポエイラの誕生の地ブラジルのサルヴァドールの観光の中心地ペロリー¥ニョにもほど近い場所に、カポエイラ要塞と呼ばれる場所があります。カポエリスタなら是非1度は訪れてもらいたいこの場所について解説します。

カポエイラ要塞の中庭

カポエイラ要塞の歴史的背景

Forte de Santo Antônio Além do Carmoは、ブラジルのバイーア州サルヴァドールにある要塞です。この要塞は様々な名前で呼ばれており、Forte da Capoeira (カポエイラ要塞) とも言われています。17世紀に建設されたこの要塞は、サルヴァドールの北限を守る役割を果たしていました。

この要塞は、オランダによるブラジル侵攻の際に掘られた塹壕の跡地に建てられました。最初の要塞は、バイーア州知事であったDiogo Luís de Oliveiraによって1627年から1635年にかけて建設されました。その後、17世紀末から18世紀初頭にかけて完全なかたちが築かれました。

この要塞は1830年に法務省によって刑務所に転用されました。特に1835年のマレの反乱の終結時に捕らえられたアフロ・ブラジル人が収容されていました。20世紀中ごろにはバイーア州刑務所に改装され、1964年以降のブラジルの軍事独裁政権下で多くの政治犯が収容されました。1976年に刑務所は閉鎖され、収容者はサルヴァドール市のRegional Prison of Salvadorに移送されました。

その後、サルヴァドール市への移管後、要塞は文化的な多目的センターに改修されました。1997年から建築家Etelvina Rebouçasの指導のもと、2006年に改修が完了しました。カポエイラの学校が1981年から利用していたため、改修された要塞はForte da Capoeiraと改名されました。この施設にはカポエイラに関連する小さな図書館と保管施設もあります。

1981年からメストレ ジョアンピケーノの、o Centro Esportivo de Capoeira Angola de Mestre Pastinha とメストレ モライスの Grupo de Capoeira Angola Pelourinho がこの場所でカポエイラの教室を開いていました。

改修後は更に多くの人に開かれた施設となり、上記に加えメストレ ビンバの息子メストレ ネネウ、メストレ クリオ メストレ ボカヒッカ、メストレ ペレ、メストレ ボラ セッチなど多くの偉大なメストレの教室が設置されています。

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