ベロオリゾンチのカポエイラの歴史

ミナスジェライス州の州都ベロオリゾンチは、ブラジルで6番目に人口が多く、カポエイラジェライスの本部のある街です。

ベロオリゾンチの街でのカポエイラの歴史や発展の経緯について「Vinícius Thiago de Melo」の論文※HISTÓRIA DA CAPOEIRA DE RUA DE BELO HORIZONTE (1970-1990)
に基づいて解説したいと思います。

ベロオリゾンチのカポエイラの始まり

ブラジルのカポエイラの広がりは、サルヴァドールをはじめとして、リオやサンパウロ、レイフェやマセイオといった、一部の大都市には古くから発展してきましたが、それ以外の街では比較的最近広まったものです。ベロオリゾンチでは1968年にメストレ トニーニョ カヴァリエリ(mestre Toninho Cavalieri)がACM(日本等ではYMCAとして有名な施設)で教え始めたことからスタートします。もちろんそれ以前もカポエリスタはいましたが、スクールとして正式に活動し始めたのがこのメストレカヴァリエリでした。

また同時期に、メストレ ジャカレー(Mestre Jacaré)は、1960年代に、サルバドールへの旅行の1つで、カポエイラを知り、ゲームの美しさに魅了されたと述べています。 彼はメストレ ビンバとパスチーニャに会い、旅行からベロオリゾンチ戻ったとき、カポエイラへの情熱を持ちさらに学びたいと思いました。しかし学ぶ場所もなく練習するのに苦労した彼は、メストレ カヴァエリエリと出会い、一緒にトレーニングを始めました。このメストレ ジャカレーはメストレ マオンブランカの最初のカポエイラの先生です。
メストレ ジャカレーは1970年代、チラデンチス広場の近くの自宅で定期的にホーダを行い、ベロオリゾンチで最初の伝統的なホーダとなりました。彼はサルヴァドールやリオに何度も旅をしそこで得た知識や人脈を使ってベロオリゾンチのカポエイラの発展に大きく貢献した人物です。

メストレ パウラオン フィロソフィーア(mestre Paulão Filosofia)は、メストレジャカレーのように、1960年代後期にメストレ・トニーニョカヴァリエリのACMでの最初の学生の1人でした。1969年から彼が別の都市に引っ越した1975年まで、メストレ パウラオン フィロソフィーアはカポエイラを教えていました。ベロオリゾンチで最初のカポエイラグループであるGrupoOpanijéは、南部地域の大学の哲学人間科学部でクラスを教えました。このメストレは、さまざまな社会階級の学生を歓迎し、中産階級、周辺地域にカポエイラを広めるプロセスに貢献しています。

こうしたメストレたちは、リベルダージ広場でのホーダを頻繁に開催しました。このリベルダージ広場周辺は中産、上流階級の住む地域で、カポエイラを学ぶ人がこうした階級から増えていったのもベロオリゾンチの特徴でした。

1970年代前半には、メストレドゥンガ、ボッカ、ファロッファ、ネガオン、たちがリベールダージ広場やセッチ広場、でのホーダが開催され、それらはベロオリゾンチのカポエイラの発展に大きく貢献していきました。


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