どうりゅうです。
「カポエイラとはなにか」を知らない人に説明する時、とても難しいという経験をカポエリスタなら誰もがしたことがあると思います。
そもそも「カポエイラとはなにか」を経験の深いカポエリスタ同士が語っても論争が尽きないので、それは当たり前です。
今回はカポエイラについてのブラジルの論文を読み漁っていて、「カポエイラとはなにか」というアイデンティティについての面白い論述を紹介しながら私なりに解釈してまとめたいと思います。
今回参考とした文献は、“Pré-capoeira, capoeira e pós-capoeira” (Silvana dos Santos, Giuliano Gomes de Assis Pimentel)と、”Mitos, controvérsias e fatos: Construindo a história da capoeira”(Luiz Renato Vieira, Matthias Röhrig Assunção)という文献です。
両方の論述に共通し、カポエイラはブラジルの歴史的、民族的、文化的実践であるということを前提に「カポエイラとはなにか」についてその難解さを様々な立場や視点で分析しています。
“Pré-capoeira, capoeira e pós-capoeira”の文献では冒頭に、
“カポエイラの世界では「伝統を守る」という表現は、頻繁に用いられる。しかし、その「伝統」が何を指すのかは明確ではない。多くのカポエイラ団体は、祖先性への尊重を要求する「統一的で結晶化された文化的アイデンティティ」を追求しているが、現実には複数の伝統と多様なスタイルが併存している。このことは、「真のカポエイラ」を探し求める姿勢が本質的に矛盾を孕んでいることを示している。なぜなら、今日「カポエイラ」として結晶化したものは、異なる文化的マトリクスの混交と排除の産物であり、現在もなお新たな混成を生み続けているからである。”
としています。これは単にビンバのヘジオナウとパスチーニャのアンゴーラという枠組みだけではなく、アフリカ的起源、奴隷の民族的活動、キロンボを含む奴隷の抵抗活動、宗教的活動、マルタの犯罪的活動など、全てがカポエイラの由来となると考えられるからです。これだけ複雑で多岐にわたる事象を、現代の各々がそれぞれの解釈でカポエイラとして語るのであれば「本質的に矛盾」というのもよくわかります。
この論文では、結論に
“カポエイラは、常に変容し続ける文化であり、その歴史は単一の起源や純粋性では説明できない。むしろ、交差、混交、再構成こそがその本質である。”というように記述しています。
“Mitos, controvérsias e fatos”では、カポエイラの起源や成り立ちについて、”アフリカ起源説 “,”キロンボ起源説”,”宗教儀礼説”,”奴隷抵抗技法説”などはどれもカポエイラを正当化し、尊厳を付与し、教育的・文化的象徴へと昇華させる役割を担ってきた「神話」であるとしています。
さらにカポエイラ史における論争は、史料不足だけでなく、解釈枠組みの違いによって生じているとし、「唯一の起源」や「本質」を求める姿勢そのものが、歴史理解を歪めている、と論述しています。これは先に述べた論文とも解釈が共通していると思います。
カポエイラの歴史は、多元的・重層的・断片的であることを前提に理解されるべきということです。
また、カポエイラについての情報は口伝によるものが多いのも解釈の違いや起源、歴史の不明瞭さに影響しています。
この論文では、現存するカポエイラについての歴史的な資料、・19世紀新聞記事・警察・裁判記録・軍事・行政文書・旅行者・知識人の記述・回想録・証言資料
これらの史料がすべて権力側の視点から書かれている点を強調し、史料批判の必要性を繰り返し指摘しています。
最終的に論述では
・カポエイラは単一の起源を持たない。
・奴隷制・都市文化・政治抗争・宗教文化が重層的に交差して形成された。
・今日知られるカポエイラ像は、20世紀以降に再構築された歴史叙述の産物である。
・史実とは、神話を否定するものではなく、それを再解釈する基盤である。
と結論づけ、カポエイラの歴史とは、純粋な起源の物語ではなく、社会変動の中で再構築され続けた多層的身体文化の歴史である、としています。
これら二つの論文に共通するように、カポエイラとは歴史としてとても広範囲にわたる複合的な事象を含んでいて、もし断片を切り取ると、全く異なる様々なものを由来としています。それら多様なものがカポエイラに影響を与え、現代でも常に変容しながら存在しているということです。
確かにこれらをしっかりと頭に入れておかないと、「カポエイラとは〇〇が元となった〇〇なものだ」という誰か(メストレ達)の各々の意見、解釈に、頭が混乱してしまうかもしれません。
多様な意見、解釈どれも全て含めてカポエイラ、なのだということです。


