女王テレーザ ジ ベンゲーラ

どうもりゅうです。

今回はカポエイラが生まれた時代のブラジルで活躍した女性「テレーザ・ジ・ベンゲーラ」について調べたので解説したいと思います。

・Tereza de Benguela

テレーザ ジ ベンゲーラは1700年頃にアフリカの街ベンゲーラ(現在のアンゴラのベンゲーラ州、またはその州都ベンゲーラ)からブラジルに連れてこられた女性、またはそういった奴隷の子供でした。彼女は脱走したのち、キロンボの女王となり村を統治しました。

カポエイラのトーキ及びスタイルに「ベンゲーラ」というものがあります。その語源はテレーザの出身地でもあるアフリカの都市および地域のベンゲーラからきています。

テレーザは主人から脱走したのち、脱走した奴隷たちの村「キロンボ」で暮らします。そのピオーリョと呼ばれるキロンボで、そこのリーダーであるホセ・ピオーリョと結婚します。このキロンボは、マットグロッソ州では最大のものでした。

ピオーリョの死後、テレーザはキロンボのリーダーとなり、その後20年にわたり奴隷制に抵抗し存続しました。いうまでもなく当時は街を女性が治めること自体がとても珍しく、ましてや奴隷たちの集落「キロンボ」で女性のリーダーがいることは稀なことでした。周辺の地域の人々は彼女を「Rainha Tereza」 (女王テレーザ)と呼びました。

キロンボは外の地域からアクセスが難しいため、テレザ達にとって強力な防衛機能となりました。綿花、トウモロコシ、豆、キャッサバの栽培で生計を立てて、バナナ、や余剰の農作物を周辺の地域へ販売したりもしました。

テレザはキロンボの政治的、経済的、行政構造を指揮し、周辺の地域から交換したり近くの村から盗んだ武器を使って防衛システムを維持しました。またそうして手に入れた武器を鍛冶職人の仲間の協力で農耕作業道具に変えました。

テレザのキロンボの統治において特徴的なのは、議会制度を用いたことです。奴隷出身やブラジルの原住民ばかりの、人口100人強で構成される村で、議会制度をもちいて話し合って運営を決めるという現代的な方法をとったのも、彼女の聡明さと手腕が想像できます。

1770年に軍の遠征部隊がテレザのキロンボを攻撃し、壊滅しました。
テレザの死については確証はありませんが、このとき殺害されたという説があります。

ブラジルでは2014 年に制定された法により、7 月 25 日がテレサ・ジ・ベンゲーラと黒人女性の記念日として定められています。
身分の違いやや差別が当たり前の時代で、女性の首長となり活躍したテレーザは、現代でも女性の活躍や独立の象徴となり尊敬を集めているのです。

カポエイラでも彼女について歌った曲が沢山あります。

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