ジンガの語源となった女王

カポエイラの基本の動き「ジンガ」
これはカポエイラそのものを表すくらい大切なものです。
ジンガについての説明は過去に詳しくしていますので、こちらをご覧ください。

ジンガについての説明

このジンガの語源に面白い説があるのをご存じでしょうか。
それは古く400年前のアフリカ・アンゴラの女王ンジンガからきているという一説があります。
下記はそれを語るブラジルの論文の一説です。

“カポエイラにおける「ジンガ」という用語は、ヨーロッパの植民者/侵略者との衝突においてンジンガ女王の政治的行動によって表現された対立と交渉の想像、およびカポエイラの物語によれば、彼女がアフリカで率いた戦いの間に彼女が現れたり消えたりすることを可能にした魔法を指します”
(ABIB, Pedro. Capoeira angola: cultura popular e o jogo dos saberes na roda. Salvador: EDUFA, 2005: p. 168)

今回はこの「ンジンガ女王」について詳しく解説します。

ンジンガ女王とは?

ンジンガ・ムバンデ(Nzinga Mbande) は、17世紀のアンゴラで活躍した伝説的な女王です。彼女は ンドンゴ王国 と マタンバ王国 の支配者として、ポルトガルの植民地支配に強く抵抗しました。その戦略的な才能と粘り強さから、現在でもアンゴラやブラジルの文化の中で英雄的存在として語り継がれています。

ンジンガ女王の生涯
① 幼少期と交渉の才能
ンジンガは 1582年頃 に生まれました。1622年、兄の命でポルトガル総督と和平交渉をするためにルアンダへ向かいます。交渉の場では 自分の座る椅子が用意されていなかった ため、侍女の背中に座って対等な立場を示したと言われています。彼女の賢さと交渉力は広く知られるようになりました。

② 王位継承と戦争
兄が亡くなると、ンジンガは 1623年に女王として即位 しました。しかし、ポルトガルとの関係は悪化し、彼女は激しい戦いを繰り広げることになります。

彼女は マタンバ王国を征服 し、自らの拠点としました。ポルトガルに対抗するため、コンゴ王国やオランダとも同盟を結び、巧みな戦略で抵抗を続けました。彼女の軍隊はゲリラ戦術を駆使し、数十年にわたってポルトガル軍と戦いました。

③ 晩年と遺産
最終的に、彼女は ポルトガルと和平を結び、国家の安定を図りました。1663年、約80歳で亡くなりました。彼女の死後、アンゴラの独立運動の象徴となり、今もなお多くの人々に影響を与えています。

文化への影響
① カポエイラとの関係
ブラジルの格闘技 カポエイラ の基本動作「ジンガ(ginga)」は、彼女の名前が由来ではないかと言われることがあります。ただし、これを裏付ける明確な証拠はありません。「ジンガ」はもともと「揺れる」や「スイングする」という意味のポルトガル語です。しかし、彼女の戦略的な動きや強国に対抗した戦術が、カポエイラの精神と重なるため、関連付けられることがあります。

② 魔術との関係
一部の伝説では、彼女が 魔術的な力を使った とも言われていますが、確かな証拠はありません。彼女は カトリックの洗礼を受け、政治的な目的で宗教を利用していたことが知られています。また、戦士としての試練を受け入れることで、インバンガラ族の支持を得ましたが、これは伝統的な儀式であり、魔術とは関係ないと考えられています。

まとめ
ンジンガ・ムバンデは、知恵と戦略を武器にポルトガルに立ち向かった伝説の女王でした。
彼女の名前がカポエイラのジンガの語源となったかどうかは、様々な説があり正確ではありません。
彼女のリーダーシップと粘り強さは、現在でもアンゴラやブラジルの文化に影響を与えています。カポエイラや独立運動の象徴として、彼女の名前は今もなお語り継がれています。

彼女の名前がカポエイラのジンガの語源となったかどうかは、様々な説があり正確ではありません。

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