カポエイラジェライス東京

コラム

ズンビ ドス パウマレス

2021/2/28

奴隷達の王ズンビ

カポエイラの歌にも沢山登場するズンビ ドス パウマレス。カポエイラやブラジルの歴史を語る上でとても重要な人物ですが、
一体どういった人物なのでしょうか。
彼は17世紀のブラジルで、逃亡奴隷たちが作り隠れ住んだ集落「キロンボ」の中で最大規模だった「キロンボ・ドス・パウマレス」のリーダーでした。
仲間からは「不死のズンビ」と呼ばれており、1695年11月20日に亡くなった日は「黒人意識の日」として祝日にもなっています。

キロンボ


17世紀のブラジルの農場、刑務所、奴隷地区から脱出した黒人奴隷によって形成された町、集落をキロンボと呼びました。
彼らは自由を求めて脱走し、仲間を探して集まり、集団で生活していました。
時には占領主であるポルトガル人達との戦争にもなりました。
中でもパウマレスというキロンボは最大規模で、その人口は3万人にも達しました。その面積はポルトガルに近い広さを占めていました。
他にもあったキロンボはポルトガル軍によって次々と潰されて行きますが、このキロンボ・ドス・パウマレスは最後まで残り、戦争にも度々勝利していました。

ズンビの生い立ち

ズンビは1655年にペルナンブコ州のセーハダバヒーガで生まれ、捕らえられてポルトガルの宣教師アントニオメロに引き渡されました。彼は約6歳でした。
ポルトガル語とラテン語を学び、ミサの祭典を毎日手伝いました。

1678年頃、キロンボ・ドス・パルマレスとの長い紛争にうんざりしていたペルナンブコ州知事は、和平の申し出を受けパルマレスの指導者であるガンガ・ズンバに近づきました。
キロンボがポルトガルの王の権威に服従した場合、逃亡したすべての奴隷に自由が提供されると約束されました。
提案は指導者ガンガ・ズンバによって受け入れられたが、ガンガ・ズンバの甥のズンビは知事の提案を拒否し、ガンガ・ズンバの指導部に異議を唱えました。
ポルトガルの弾圧に対する抵抗を続けることを約束して、ズンビはキロンボ・ドス・パルマレスの新しいリーダーになりました。

ズンビの死

ズンビがリーダーとなってから15年後、1694年2月6日、パルマレスの首都が破壊され、ズンビが負傷しました。
刺されても生き延びましたが、戦いのほぼ2年後の1695年11月20日、20人の戦士によって殺されました。
レシフェでは、ズンビの不死の伝説についての住民の信念を否定するために、パティオ・ド・カルモの公共広場で頭が晒し首にされました。