カポエイラジェライス東京

コラム

ランピアォン

2020/6/19

Lampião

ランピアオンはブラジルで人気の歴史上の偉人です。カポエイラの歌にも数多く登場します。
嫁のマリアボニータと共に盗賊団を率いて、悪い権力者や警察と戦うヒーローとして語られます。
本名を「Virgulino Ferreira da Silva」といい、ランピアオンという名は、彼がレバーアクションライフルを非常に速く発砲できたため、夜にはランプを持っているかのように見えたので、
「ランプ」を意味する「Lampião」という名がつけられました。カンガッソと呼ばれる20世紀初頭のブラジル北東部の盗賊達のリーダーで、最大100人を率いて町を支配し、警察と戦いました。
彼の功績と評判によって、小説、映画、歌など様々な形で彼について語られています。

ランピアォンの人生の前半

ランピアォンは1897年にペルナンブッコ州の農家の三男として生まれました。彼は21歳になるまで、父の教えによりカウボーイとして成長し、また熟練した革細工職人でもありました。
彼が住んでいる貧しい地域では珍しく読み書きもできました。しかし彼の家族が住民や警察とトラブルが続き、家族ごとなんども引っ越しますが、暴力が彼の家族におよび、彼の父は警察との対立で殺害されます。
ランピアォンは復讐心を抱き、カンガッソと呼ばれる盗賊になります。彼は盗賊となって数ヶ月の後、盗賊団を引き継ぎリーダーとなります。

カンガッソのリーダー

カンガッソと呼ばれる盗賊達は、馬や徒歩で移動しました。彼らは重武装しており、ブラジル北東部で活動しました。
警官達と似た服を来ていて、更には完全に警官になりすますこともありました。
彼らの武器はほとんどが警察や軍から盗んだ理、賄賂で得たものです。
ランピアォンは「殺さなければならないなら、すぐに殺しなさい。しかし、私にとって、1000人を殺すことは、1人を殺すのと同じだ」と述べたと記録されています。
それほど暴力的に、テロ行為や犯罪を犯しながらも、信心深く、様々な宗教的なシンボルを身につけていました。
ランピアォン達は1,000人以上と5000頭の牛を殺し、女性を襲い、警察と200回以上衝突しました。

ランピアォンの伝説は義賊的な面も伝えています。
1929年のバイーア州のケイマーダスへの襲撃の際、街の警官や軍曹を閉じ込め、刑務所の囚人を解放し、裕福な市民から金品を奪いとりました。
一方町の店からはお金を払って商品を持って行きました。
警官達は処刑されましたが、軍曹は町民に好かれていたため残されました。
ランピアォンは夜にダンス会や映画上映を行い、部下達が女性に乱暴しないよう厳しく注意しました。
ランピアォン達は朝4時に街を去り、その後借りたラバを持ち主に返しました。

ランピアォン達は何度も警官や軍と衝突し、激しい戦いを繰り広げました。

1930年にマリアボニータという女性と行動を共にするようになります。マリアボニータは女性でありながらカンガッソに参加し、中心人物として活動しました。
ランピアォンとマリアボニータは「ロマンスと暴力」という言い方で表現されました。
彼女の存在から、ランピアォン達の活動の間、多くの女性がカンガッソに参加しました。

ランピアォンの死

1938年ランピアォンと仲間たちは、ある仲間の裏切りにより終わりを迎えます、
農場で待ち伏せた警察部隊に、マシンガンで攻撃され、ランピアォン、マリアボニータ、彼らの仲間の9人が他界します。
彼らの首はピラニアの街にさらし首にされました。その後1969年までサルバドール博物館に、ミイラ化した首が展示されていましたが、
墓地に埋葬されました。
ランピアォンの死の後数年のうちに、別のカンガッソ達も壊滅していきました。

ランピアォンの人気

ランピアォンは彼の残忍な行動や野蛮な歴史にも関わらず、彼の勇気、時折見せる慈悲や慈善活動、マリアボニータの存在など、民族歴史的にヒーローとして描かれ伝えられます。
ランピアォンとマリアボニータの物語は、小説、映画、ドラマ、歌など様々なものに描かれました
カポエイラの歌にも、数々登場します。有名なもので、「Oi sim sim sim, Oi nao nao nao」があります。