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コラム

メストレ パスチーニャ

2020/5/22

Mestre Pastinha

メストレビンバは本名をVicente Ferreira Pastinha といい、
カポエイラ アンゴーラという伝統的なカポエイラのスタイルの第一人者です。
1981年に92歳でなくなるまで、カポエイラ界に多大に貢献した人物です。

Mestre Pastinhaの生い立ち

メストレ パスチーニャは1889年にサルバドールで生まれました。
メストレ パスチーニャとカポエイラの出会いには、あるストーリーがあります。
8歳になるパスチーニャは、近所に住むとある年上の少年にいじめられていました。ある日、ベネディトという彼の最初のカポエイラの師匠出会います。
ベネディトは、殴られた跡のある彼をみて「後で自分の家に来なさい。大切なことを教えます」と言い、その場所でパスチーニャカポエイラに出会います。
その次にいじめっ子に会ったとき、パスチーニャは素早い動きで彼を破り、尊敬を集めました。
少年時代、午前中には学校で絵画の授業を受け、午後はベネディトのところでカポエイラを学びました。

カポエイラアンゴーラの代表

1941年、すでにカポエイラの有名な先生となっていたパスチーニャは、自分の生徒でもあるアベヘの招待で、ladeira do Gengibirraでの日曜のホーダに参加しました。
そこで、バイーアの最も偉大なメストレの1人であるメストレ アモルジーニョから、カポエイラ アンゴーラの代表として率いることを依頼されます。
その後パスチーニャはサルヴァドールのペロリーニョにて、カポエイラアンゴーラの教室「Centro Esportivo de Capoeira Angola」(カポエイラアンゴーラ スポーツセンター)を設立します。
そこでは生徒たちは、パスチーニャのお気に入りのサッカーチームと同じ色の、黄色のTシャツと黒のパンツを来ることが通常でした。
彼はカポエイラ界を代表する存在となり、国内外に活動を広げていきます。
1966年にセネガルで開かれた"First International Festival de Artes Negras"の国際イベントに、ブラジル代表団として彼の生徒であるメストレ ジョアングランジ等を連れ参加しました。
こうして有名になってパスチーニャですが、なおも靴磨き、仕立て屋、警備員などの仕事をして彼の生計を立てながら、カポエイラの活動を続けていました。

パスチーニャの終生の悲劇


カポエイラの世界でメストレ ビンバと並び伝説的な偉人とされるパスチーニャも、
その人生の後期は悲劇とともにありました。

2度の脳卒中で彼はほとんど盲目になってしまいます。その上政府から、観光地の真ん中にある彼の道場の立ち退きを要求されてしまいます。
治療に苦労するパスチーニャは、市の施設に入り、1981年、92歳でこの世を去ります。

人生の最後は寂しい終わり方だと認識されている彼ですが、
カポエイラ界に残した功績は間違いなく偉大です。
メストレ ジョアングランジ、ジョアンピケーノ、ボッカヒッカ、アベヘー、クリオ、ジウドアウフィネッチなど、
カポエイラアンゴーラを代表するメストレ達は全て彼の元で学び、その財産を世に伝えています。