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コラム

メストレ ビンバ

2020/5/15

Mestre Bimba

メストレビンバは本名をManuel dos Reis Machado といい、
カポエイラ ヘジョナウという当時新しいカポエイラのスタイルを作り、
1974年に74歳でなくなるまで、カポエイラ界に多大に貢献した人物です。

Mestre Bimbaの生い立ち

メストレ ビンバは1899年にサルバドールのBairro do Engenho Velhoで生まれました。
bimbaというのはニックネームであり、驚くことに「男性器」を意味します。メストレビンバの母親と助産師が出産前に、男の子か女の子かを賭けた結果としてこのニックネームが生まれました。
彼の母親は彼が女の子になると賭け、助産師は彼が男の子になると賭けました。出産した後、助産師は股を指して彼が男の子であることを「ビンバ」と呼びながら宣言しました。

メストレ ビンバは12歳の時にカポエイラを学び始めました。
彼と一緒にカポエイラを学んでいた人物の中には、後にカポエイラ アンゴーラで最も有名になるメストレ パスチーニャもいました。

ヘジョナウスタイルの確立

カポエイラが武術や抵抗の術としての役割を失いつつあると感じていたビンバは、伝統的なカポエイラに、彼の父がチャンピオンであったバトゥーキという格闘技などの別の要素も取り入れながら、
新しい形のカポエイラを模索していきました。

カポエイラ ヘジオナウのスタイルを確立する際に、他の武術の影響を受けたとも言われています。
彼は、柔道、ボクシング、レスリング、ポルトガルの棒術も研究していました。
ビンバの生徒であるシスナンド リマは、前田光代や矢野武夫といった柔道家と稽古をしたこともあり、他の生徒も時折日本の武道家と対面していました。

しかし一方、メストレ ビンバの生徒であるメストレ イタポアンは、ビンバはどんな他の格闘技の動きもヘジオナウに追加していないと信じており、伝統的なカポエイラとバトゥーキのみから由来すると述べています。

アカデミア(道場)の設立

メストレ ビンバは1932年にバイーア州サルバドールのEngenho de Brotasに、最初のカポエイラの学校であるAcademia-escola de Cultura Regionalを設立しました。
それまでカポエイラは路上などで練習する場合が主で、ブラジルの上流階級からは強く差別されていました。
カポエイラに対する差別的な偏見を変える為に、ビンバは自らが教えるカポエイラに新たな基準を設けました。

彼の生徒たちは白の道着を着用し、修練の証となる基準を満たしたり、良い行いをすることが求められました。
その結果、中流階級の人々も彼の道場に参加し、支援するようになりました。

メストレ ビンバの伝説

メストレ ビンバには伝説的なストーリーがいくつかあります。

・異種格闘技戦での成功
彼はカポエイラ ヘジオナウのスタイルを試す為に、四人の様々な格闘家と異種格闘技戦を行いました。
四人に勝利し、「Três Pancadas」という、呼び名を得ます。それは敵を倒すのに3撃のみしか必要としないということから由来しました。

・警官たちとの戦い
ビンバは、サーベルで武装した警官七人と戦い、撃退したという話があります。
ビンバによると、酔って騒ぎを起こした警官達から、混乱に巻き込まれそうになった少年を助ける為ビンバは割って入り、
サーベルの攻撃を受けそうになって、反撃したと述べています。

・1953年に、当時のブラジル大統領にカポエイラの実演を依頼され招待されました。バルガス大統領はその時、「カポエイラは本物のブラジル発祥の唯一のスポーツだ」と述べました。