カポエイラジェライス東京 |
2020/1/31
1世紀以上も前に実在した偉大なカポエリスタ、メストレ マンドゥカ・ダ・プライア。彼の歴史や逸話について解説します。
1850年頃にリオデジャネイロに活躍したカポエリスタであるManduca da praiaは、本名をManoel Alves da Silvaと言いました。
格闘家としての強さ、エレガントな立ち振る舞い、そしてスタイリッシュさで人々の尊敬を集めていました。
彼は先のとがったあごひげと灰色と銅色の髪を持ち、トレードマークの白いビーバーハットをかぶった背の高い男でした。
警察や他のカポエリスタとの戦いにより、彼は恐れられ尊敬を集めました。
素手でカポエイラの技術で戦うことにも長けていましたが、同時にナイフや木の棒で戦う技術にも長けていました。
当時見られたノックアウト方式のストリートファイトでも彼の戦闘技術で数々の勝利を納めました。
19世紀のリオはmaltaと呼ばれるギャングが幅を利かせ、政治家も権力や政治の争いにギャングの暴力を使うような時代でした。
暴力が支配するような社会で、強さは正義であり、ギャングも警察も民間人も、格闘能力の高い人が有利になったり尊敬を集める時代でした。
強いカポエリスタの多くはギャングとして犯罪や暴力に関わっていましたが、マンドゥカ・ダ・プライアはその中には加わりませんでした。
彼は市場の魚屋を営み、ボディーガードとしても働き、ビジネスマンとして生活していました。
Mestre Manduca da praiaには様々な伝説が残されています。
・彼は政治家や要人のボディーガードとしても働いていて、要人から熱く信頼されていました。
また彼は当時禁止されていたカポエイラを練習したことと、戦闘行為によって27回逮捕されていますが、全て彼に関係する権力者や友人の助けによって無罪となりました。
・ある年のペーニャ祭りにおいて彼は棒で武装した一団と対峙し、一人で打ち負かしたと言われています。
・サンタナという強くて有名なポルトガルの副官との戦いは彼を有名にしました。
サンタナがリオに着任した際、マンドゥカ・ダ・プライアの不敗の噂を聞き彼に挑戦したいと彼は言い彼に勝負を挑みました。
マンドゥカは勝負に勝ち、彼の強さに感銘を受けたサンタナは彼を讃え友人になったと言われています。