カポエイラジェライス東京

コラム

カポエイラジェライスの歴史前編

2019/11/1

Capoeira Gerais

1993年に前身のグループから名前を変える形で設立されたカポエイラジェライス。
その歴史の始まりはメストレマオンブランカ、そして彼の師匠であるメストレジガンチのカポエイラへの献身によるものです。
現在では世界中に支部を持ち、派生した兄弟グループも複数存在し、世界のカポエイラ界に多大な影響を与えています。

メストレ ジガンチとネグリーリョスジシニャ

メストレジガンチは、カポエイラモザンビーキというグループのメストレ ガットプレットの生徒としてカポエイラを学びました。
そして1974年にリオデジャネイロでカポエイラの協会、ネグリーリョスジシニャが、メストレ ジガンチによって設立されました。
メストレ ジカンチは軍人であり、またカポエイラのメストレとしても偉大な人物でした。
すでに様々なメストレから指導を受けていたメストレマオンブランカは、ネグリーリョスジシニャとメストレジガンチの指導に自身の成長を見出し、
ここで練習を続けました。

メストレ マオンブランカ

メストレマオンブランカは、ベロオリゾンチで生まれ、
リオデジャネイロのファベイラに移り住み10歳でカポエイラを学び始めました。
15歳にはベロオリゾンチに戻り、メストレ ジャカレーの元で修行を続けました。
その後またリオデジャネイロに移り、メストレ エリーニョアグイアネグラの元で修行しました。
その後、メストレジガンチと出会い、ネグリーリョスジシニャの団体で長く修行を続けます。

カポエイラ ジェライスの誕生

マオンブランカは、1980年にリオデジャネイロからベロオリゾンチに戻り、そこで一度自分のグループ、ゲヘイロスジアンゴーラを設立しました。
1985年に、メストレジガンチからメストレの帯と称号を受け取り、ベロオリゾンチでネグリーリョスジシニャの名前でカポエイラを教える提案を受け、
リオデジャネイロとベロオリゾンチとの繋がりを強め、活動しました。

しかし1989年にメストレ ジガンチが38歳という若さで亡くなりました。
メストレマオンブランカは、ばらばらになりそうなグループを纏め、カポエイラジェライスという新しい名前をグループにつけました。
こうしてカポエイラ ジェライスというグループが誕生しました。
ジェライスとは、「普遍的な」という意味で、世に広く分け隔てなくカポエイラを伝える、という意味があります。
また、ミナスジェライス州にも名前の共通点があります。