カポエイラジェライス東京

コラム

マクレレ

2019/8/08

マクレレ

マクレレはブラジルの伝統的な民族舞踊です。
現在ではカポエイラのグループの練習でもよく取り入れられています。
しかしカポエイラとは全く異なるダンスです。
マクレレではグリマと呼ばれる長さ50〜60cm程度の木の棒を持ちます。
ホーダと呼ばれる人の輪の中で、2人が踊ります。
踊り手以外の参加者もグリマをもち、それを打ち鳴らすことでリズムを作りながら歌を歌います。
アタバキというブラジルの太鼓がメインのリズムを奏でます。
ホーダの中の踊り手が入れ替わりながら、エネルギッシュなダンスを繰り広げます。
伝統的な衣装としては、麻で編んだスカートを履いて、男性は上半身裸で踊ります。

マクレレの起源

マクレレの起源はいくつか説があります。これらの説を含め、マクレレは他のアフロブラジリアン文化と同じように口承により伝わってきました。

◆説1
ブラジルの18世紀の奴隷制度時代、サトウキビ農園の奴隷が集まって踊り、マクレレ生み出したという説です。日々の労働の辛さや管理者に対してのストレスを発散させ行われました。当初はナタを使用していましたが、時代とともに木の棒にを使うようになっていきました。

◆説2
マクレレという少年の名から取られた説。
ブラジルの部族にマクレレという少年がいました。ある日部族の男たちが村から離れている時、別の部族に村が襲われました。少年マクレレは木の棒を持って戦い、村を守りました。彼の栄誉を讃えて部族は棒を使用した戦いのようなダンスを作り、そのダンスをマクレレと名付けた、という説です。
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◆説3
上の説2と似たような説で、襲われた村を木の棒を手に取り救った、という説ですが、場所がブラジルでなく、西アフリカの村で、そのダンスがブラジルに伝わった、という説です。
こうした伝説は他にもあります。また、バイーア州のサントアマロにはククンビという先住民族から残っている棒を使ったダンスも残っており、このダンスはアフリカから伝わり、ブラジル原住民の文化と混ざり合い生まれたとされています。こうした様々な説は、現代の歴史学者の中でも意見の別れるところでもあり、謎に包まれています。

マクレレとカポエイラの共通点

マクレレは歴史的にもカポエイラとの共通点が多くあります。
マクレレは奴隷達が農園で集まって行ったということ。そして彼らはそれをダンスだと言ったが、監督者に対し身を守るすべであり、カポエイラと同じように危険な部分をダンス的な要素に隠して行われ、いざという時にはその技術を使い身を守ったということも共通する点です。
また歌われる歌もその時代の彼らの生活や信条を表すような歌詞の内容が多くあります。

カポエイラジェライスでは

当教室のカポエイラジェライスでも、マクレレを練習しホーダの後やイベントやショーなどで行います。
ブラジル本部では、毎週のホーダの後に必ずマクレレを行います。
アタバキを2〜3台使用して盛り上げます。
ショーなどでは上級者がナタを使用することもあります。
カポエイラジェライス東京でも、通常クラスで1〜2ヶ月に1度練習を取り入れています。