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コラム

ビゾウロ マンガンガ

2019/7/25

カポエイラの偉人ビゾウロ マンガンガ

カポエイラにとって最も有名な偉人の1人に、ビゾウロマンガンガという人物がいます。
映画化もされるなど、ブラジルでも広く知られる人物です。
1895年に生まれ、本名をManoel Henrique Pereiraと言いました。
バイーア州のサントアマーロ出身のカポエリスタで、1924年に29歳の若さで無くなるまでに、多くの伝説を残しました。

彼は幼い頃から Mestre Alípioにカポエイラを学びました。
ビゾウロ(ポルトガル語でカブトムシ)とはあだ名で、彼が大勢の敵に囲まれピンチになった時、カブトムシに姿を変えて飛んで逃げたという逸話から来ています。
また彼は金の帯(コルダンジオウロ)を身につけていたとも言われ、それがあだ名として使われることもあります。

このように彼のその破天荒な活躍によって、数々の神秘的な伝説が残されています。
例えば、「corpo fechado(閉じた体)」とも表現される強靭な肉体のため、銃弾や短剣に貫かれても死ななかった、などの話もあります。

ビゾウロは横暴な警察に敵対することも多く、度々衝突を繰り返したともされます。
しかし彼は盗みなど一般的な犯罪を犯したのではなく、警察との衝突によってのみ逮捕されたのです。

例えば警察の記録には、1918年に警察に取り上げられたビリンバウを返却するよう求めたが、断られ、取り返すために警察と衝突し逮捕されたと残っています。
その後解放されたビゾウロは、バイーアの農園で働くようになります。

Quebrou pra São Caetano

有名な逸話に「Quebrou pra São Caetano」というものがあります。
この話はビゾウロの弟子であり有名なカポエリスタのMestre Cobrinha Verdeが伝えています。
ケブロウ プラ サンカエターノとは、「支払う給料は無い」ことを表す地域の言い回しです。
彼はサントアマーロの工場で働いていましたが、従業員に給料が支払われ無いことがありました。
その上刃向かったを行った従業員は日暮れまで木に縛り付けられるという仕打ちを受けていました。
ビゾウロはこのことを知っているので、支払われるまで待っていました。
ある日彼は給料のことで呼び出され「Quebrou pra São Caetano」のフレーズを言われ給料は無いと伝えられます。
ビゾウロは掴みかかって「俺に給料を払え」と言い、誰も彼に敵いませんでした。
ビゾウロは給料を受け取ってその工場を去りました。


ビゾウロの死

ビゾウロの死には諸説ありますが、よくカポエイラの歌にも歌われる逸話があります。
彼はZeca博士と呼ばれる農園主の農場で、カウボーイとして働いていました。
ゼカ博士にはメメウという息子がおり、メメウはビゾウロと仲が悪く、喧嘩の際ビゾウロに殴られてしまいました。
Zeca博士はビゾウロを恐れ、彼を始末しようと決心します。
Zeca博士は、マラカンガーリャ農園の主人バルタザールに向けて手紙を持っていくように、
ビゾウロに命令します。
しかしこの手紙には「この手紙を届けた配達人を始末してくれ」と書かれていたのです。
ビゾウロは文字が読めなかったのもあり、その策略に気がつきようがありませんでした。
彼は自分自身を始末する旨が書かれた手紙を運んだのです。
バウタザール氏に手紙を届けたビゾウロは、「返事を書くから明日まで待つように」と言われます。
翌日彼は待ち受けた40人の男に襲われます。銃でいくら撃たれても死ななかったのですが、魔法が宿るとされるチクンの木で作られたナイフで刺され、彼は倒れました。

こうしたビゾウロの伝説は、彼をカポエリスタとして伝説にしました。
カポエイラの歌にも彼についての歌が沢山あります。
彼はキロンボの王ズンビや、メストレ ビンバ、メストレ パスチーニャなどと並んで、
多くのカポエリスタに影響を与えました。ビゾウロは近年まで実在したかどうかも口伝以外ではっきりしませんでしたが、警察の書類や公的な文書に彼について書かれたものが発見され、その存在が裏付けられました。