20世紀を代表するメストレにメストレ・カンジキーニャという人物がいます。
彼はブラジル中でその教えを伝え、多くの映画にも登場しました。
カポエイラの様々な歌などにもその名はよく登場します。
今回はカンジキーニャがどんな人物だったのかついて詳しく解説します。
Mestre Canjiquinha
メストレ カンジキーニャは 本名をWashington Bruno da Silvaといい、1925年にサルヴァドールで生まれました。
1935年にメストレアベヘの元でカポエイラを学び始めます。
彼は洗濯屋の息子であり、靴職人、弁当配達屋、ライターなどの職につき働きました。
彼はカポエイラを学ぶと同時に、Ypiranga Esporte Clubeのサッカー選手であり、ゴールキーパーでした。
彼はカポエイラの先見の明があり、常に生徒たちに「カポエイラには信条も色も旗もなく、人々のものであり、世界を旅する」と語っていました。彼は右手にビリンバウを持ち左手でバケッタを叩き、胸の高い位置でカバッサを構えるという姿勢でビリンバウを演奏していました。彼はメストレ・パスチーニャの生徒ではありませんでしたが、アカデミアのコントラ・メストレでした。パスチーニャの元を去った後彼はメストレとして彼と仲間達の道場である ASSを1952年設立しました。
彼の道場であるASSは、パウロドスアンジョス、ルア ハスタ、ブラジリアなどを育てました。
歌と即興の無尽蔵のレパートリーがあり、一般の人々とのコミュニケーションが非常に容易なメストレ・カンジキーニャは、これらのおかげで、様々な映画に出演しました。
彼が晩年のメストレ ワウデマーと制作したCDはとても有名です。
カンジキーニャの意見では、カポエイラにヘジョナウとアンゴーラの区別は存在しないと発言しています。彼はトーキに従いその意図のもとで動くとしていました。