カポエイラの語源と由来

ブラジルのカポエイラについての論文を暇な時読むのですが、カポエイラの語源についてのみフォーカスして書かれた論文を読みましたので、それを含め複数の論文を踏まえてまとめたいと思います。

今回特に参考にしたその文献は、サンパウロカトリック大学のアンドレ・ルイス・ジ・ オリベイラ氏により書かれ、2021年に人間運動的研究協会の論文集「Motoricidades」第5巻第3号て掲載された「Do Capoeira para a Capoeira: reflexões etimológicas e existenciais」になります。カポエイラの論文や文献を多くみてきましたが「カポエイラ」の語源について中心に書かれたものは珍しいと言えます。

カポエイラの語源には諸説あり、日本でも様々な意見や説を聞いてきました。今回の論文もその複数の説の一つかもしれませんが、様々な過去の文献を元に2021年に発表されていますので、現段階の研究としてはかなり有力ではと思います。

この論文については、2018年に同氏が発表した似た内容の文章が「Portal Capoeira」というウェブサイトに記載されています。

https://portalcapoeira.com/capoeira/publicacoes-e-artigos/capoeira-nao-existe-capoeirista-sim/

このPortal Capoeira のサイトにはLuciano Milani氏が2005年に記述した「A Origem do nome CAPOEIRA」

https://portalcapoeira.com/capoeira/curiosidades/a-origem-do-nome-capoeira/

という文章の記載もありますが、内容的にも前述のオリベイラ氏の論文がこれらも踏まえてさらに詳しく述べているものと思います。

なおオリベイラ氏はUniversidade Católica do SalvadorのPaulo Coêlho de Araújo氏が2005年に出版した75pの文献「Capoeira : um nome, uma origem」を多く参考にしています。


ここからは私がオリベイラ氏の論文を踏まえ要約しました。

カポエイラの語源

ブラジルの歴史においてカポエイラという言葉は、今の文化であるカポエイラとは全くことなる3つシーンで使われています。

①カポエイラという言葉はポルトガル語、またはブラジルの先住民の言葉である「トゥピ」の言語に起因している可能性を示しています。先住民の言葉ではカポエイラが「無くなった森」「刈られた森」を意味します。
Leandro Ribeiro Palharesの2016年の論文では支配者から逃げた人たちが森の中に住む村「キロンボ」に「Capitão do mato(ガードマンであり保安官)」たちが逃亡者を捕えようと攻めてきた際、村の近くの大きな木が刈られ低木や高い草が多い箇所に身を隠しCapitão do matoを迎え撃った。その場所がトゥピでカポエイラと呼ばれていたことが語源に繋がるとしています。

②またブラジル内陸の森林に生息するジャネイロウズラという鳥の学名が「Odontophorus capueira」(カポエイラ ではなくカプエイラ )であり、「ウル-カポエイラ」や「カポエイラ」と別名で呼ばれることがあります。この鳥と文化のカポエイラには、一部関係があるとする学者もいれば、関係ないという学者もいます。

③16世紀半ばの記録では、カポエイラとは棒で作った逆さの籠を意味し、いくつかの鳥をその籠で保管したりすることもあったとされています。植民地時代に奴隷たちが船から荷物を積み下ろしするための籠は”「Capú」と呼ばれました。
Soares氏の「A capoeira escrava(1999)」の文献によると
カポエイラは大きな籠を意味しそれを運ぶ人たちも同様にカポエイラと呼ばれていた。その人たちが余暇に遊ぶ中で技術を確立しカポエイラのゲームがうまれた。としています。

カポエイラという言葉の使われ方・現在のカポエイラの由来

カポエイラという言葉の発祥にはこれら3つの可能性がありますがここでは一旦置いておきます。

戦闘としてカポエイラという言葉が使われたのは、1789年に初めて文章として世に現れます。
この文章では文化としての遊びやゲーム、格闘技を指すのではなく、奴隷の立場の警察や権力に対する暴力的な闘争を指す言葉として使われます。同じ時代の他の記述でも同様の言葉の用途をする文章が多数あります。

ここで重要なのは、この論文で説明されているのは日本でもたまに言われる「カポエイラは当初権力に対する抵抗する戦闘の手段で、それが時代を経て段々と文化的なものやスポーツへと変わっていった」ということではないことです。

当時「Capoeira,Capoeiras」という言葉は、奴隷の人たちそのもの、特に犯罪者に相当する人達を表す単語として使われました。論文ではカポエイラスという用語が使用される場合の 5 つの異なる状況について説明しています。

①カポエイラスと呼ばれる人達は犯罪者として扱われた。

② カポエイラスと呼ばれた人の中には、犯罪者ではなく単なる逃亡者もいた

③ カポエイラスと呼ばれた人の中には「今で言うカポエイラ」をおこない、かつ犯罪者もいた

④カポエイラスと呼ばれた人の中には「今で言うカポエイラ」をおこないかつ逃亡者もいた

⑤カポエイラスと呼ばれた人の中には、「今で言うカポエイラ」をおこない、かつ犯罪者でも逃亡者でもない人もいた。

つまり⑤の人のように遊び、ダンスとしての文化的なカポエイラをする人も、③犯罪者も④逃亡者もまとめて似たような扱いを受け、かつ一緒くたに「カポエイラス」と呼ばれたのです。

しかし、遊びやダンス、ゲームとしてのカポエイラと、警察のなかで軽犯罪者を意味する「カポエイラ」の言葉とは常に結び付けられました。言い換えれば、たとえダンス格闘ゲームとしてのカポエイラの実践者が犯罪者でなかったとしても、絶えず疎外され、軽犯罪と関連付けられていたのです。

つまり、カポエイラとは最初から戦い、ダンス、ゲームとしてを意味していたのではなく、奴隷の人たちが「刈られた森」「籠」「鳥」のいずれかの語源から「カポエイラ」と呼ばれ、そこからその人たちが行う喧嘩や戦闘といった犯罪行為も、戦いに似たダンス・ゲームの文化も、どれも一緒くたにカポエイラと呼ばれていたわけです。

オリベイラ氏の論文で何度か強調されているのは
「実践者(カポエイラと呼ばれた人)からその人が実践するもの(カポエイラ)が名付けられたのであって、その逆はない。
カポエイラと呼ばれた人の生き方がカポエラジェンであり、カポエイラと呼ばれた人が作ったダンス・格闘・ゲームがカポエイラなのです。」ということです。

オリベイラ氏の論文を要約すると
・語源となりうるカポエイラと呼ばれているものは複数ある。「刈られた森」「鳥」「籠」といったもので、複数が関わっている可能性もある。
・語源となるものが要因となり、奴隷の人たちは「カポエイラ・カポエイラス」と呼ばれた。
・「カポエイラ(人)」に関わるもの、例えば戦闘、犯罪、ダンス格闘遊びを含む文化的なもの(現代のカポエイラ)、それらはどれもカポエイラと呼ばれた。

ということです。

このことに私から追記するなら、古くから犯罪として扱われ、1890年に制定された法律では正式に「カポエイラ」が犯罪行為と文化的行為の隔てなく禁止されていたような時代を経て、
ビンバ・パスチーニャなどの先人の功労もあり、文化・スポーツ的側面のカポエイラが徐々に認められ今の文化的な遊び・戦い・ダンス・スポーツのカポエイラのみが、現代ではカポエイラと呼ばれているということです。

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